周りにあわせるのはつらい、でも少しでも乱れるとおかしいと叩かれる。しかし疲れるものに時間を使うのは命のムダ遣いともいえます。一体いつから日本はこんな風になってしまったのか。この記事では「日本社会にストレスを感じる理由」と「適応できないと思った時の対処法」をご紹介します。
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日本人特有の「一緒じゃないといけない」という価値観に違和感
今でこそ自分を解放して笑えるようになったのですが、「あわないなあ」となかなかに辛い日々を過ごしてきました。具体的にどんなところに違和感を感じていたかといいますと、
- 皆一緒がいい、という価値観
- こう思わないなんておかしい、という同調圧力
- 変わった考えを持つひとを、おかしいと批難
- 「常識でしょ」「人としてどうかと思う」という言葉が飛び交う
これは中学生、高校生の間でとくに顕著に見られます、そして一部の先生にも。社会ではそんなことはないはず、と思っていたら、日本人だけの会社では全く同じ状態でして、その会社は2年で退職しました。
レールを外れた人は、腫れ物状態
最近は徐々に変わってきましたが、「学校を出て、会社に(正社員で)就職して」という王道コースはいまも健在で、それを外れると「あの子はどうしちゃったのかしら」と陰口を叩かれる。頑張っていい会社にはいっても、「出る杭は叩かれる」という言葉通り、「あいつは調子に乗っている」と御局様から叩かれて、行き着く先はにこにこして、「本当にその通りですね」と相手の意見に反論せず、残業にも文句を言わない「(都合の)良い子」がよしとされる世界。これではさすがに個性もなくなり、自分を殺して生きる毎日が続くと心が病んでいくのも無理はないのかもしれません。
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なぜこんな社会になったのか
いい子がよしとされる社会に拍車をかけた、アメリカ軍の策略
70年前日本が敗戦したあとのことです。「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」がGHQによって実行されました。これは日本占領政策の一環として行われた「二度と戦争を起こすことがないよう、日本人の尊厳を根こそぎ奪い取ろう」という目的で、実行されたものです。
「勤勉で、いうことを聞き、よく働くサラリーマン」を量産するための策だったのかもしれません。この計画はじわじわと日本人の心を蝕み、「自分の存在に価値を感じる」と感じるひとはわずか45.8%までに減りました。ちなみに韓国では71.5%、アメリカは86%、その他イギリス、ドイツ、フランスも80%を超えています。(出典:内閣府)
自己肯定感が低いために起きるこんな現象
- 自分を見つめることなく、歪みの矛先が人へ向く
- 自分に価値がないと思うので、すぐに諦め、落ち込み、鬱になる
- 自己評価が低いため、周りのひとへも同様「価値のないひと」に仕立てようとする
先日川崎で胸の痛い事件が起きました。「誰でもいいから殺したい」こういった無気力からくる無差別殺人も、「なににもなれない自分が大きなことをしたい」という欲望の裏返し。事件の裏にはもしかしたら、根底に「自己評価の低さ」があるのかもしれません。
相手を傷つけることで、自分が優位に立とうとする幼稚な精神
つまり日本人のこじらせた「同調圧力」や「歪み」は極端な自己評価の低さが根本にあるのです。なぜひとを傷つけるのか、責めるのか、意見が合わないとハブにするのか(自分の正当性を主張するのか)、自分に自信がないからこそ、他人を貶める、操作して自分の居場所を作ろうと必死なのです。自分が「ない」から、相手にも「もたせたくない」のです。
その結果として起こるのが、いじめ、パワハラ、非情な無差別殺人
食べ物があり、衣食住が充実している現代では、「生きている」ことだけでは満足できなくなってしまった。そのため、「誰かに必要とされること」「自分が役に立っている」という思いが「生きている実感」を感じるための手段になりつつあります。そのなかでひとに助けられ、感謝がうまれ、時に自分が助け、そういう風に世界はまわっているのですが、そういったサイクルがなかなかできにくい世の中になっています。
アメリカのせいと言いたいわけでもなく、もともと日本も士農工商など身分制度を強いて、村八分にならないために「同調圧力」に組み敷かれてきた歴史があるのです。自己肯定感が低くなったのはたしかですが、それは元々あった「同調圧力」や「歪み」に拍車をかけたにすぎないのかもしれませんね。
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苦しい場合の対処法、どう生きていくべきか
➀自分らしくいられる場所を探す
私は語学ができるようになってから、人生が本当に楽しくなりました。いままで、「これを言ったらこう言われる」「ああ、また影で言われる」といった見えない抑圧がない世界があることを知ったからです。
具体的には仕事、プライベートは、同民族だけで過ごすことはなく、日本にいながらも国際色豊かなメンツと時を過ごすようになりました。「違うのが当たり前」のベースで繰り広げられる会話は、「違い」が面白いに変わり、「知らないこと」が新しいトピックに変わり、思い出話しをするとか、愚痴をいうとかではなく、「いま、この瞬間」を楽しむことができる場所にであえたのです。(もちろん日本人でもそういうひとはいますよ)
理屈で説明するなら、いままで友達の範囲が1カ国だけだったのが、何十にも広がったのです。母数が増えると、あうひとだって増えてくるのですね。わたしが語学を学び続け勧めるのはそのためです。
➁ひとは違って当たり前、無理にわかろうとしない
ひとがなにを感じて、どう思うのか、つくづく難しいなとおもいます。でもだからこそ、そこに「配慮」や「伝える気遣い」が生まれるのです。それが積み重なると、信頼にかわっていきます。
誰かにたいして「なんであんなことするの?」と思うことがあっても、それは「自分はこう思うのに、あのひとはしてくれないのね」という感情の裏返し。考えれば考えるほど、負のサイクルにはいっていきます。直感はあたるもの、「このひとといると自分が乱れるな」と思ったら、程よく距離をおいてつきあわない、というのも大事なことです。
③祖父母、父母、家族に感謝をする
一見関係ないように見えますが、大事なことです。2018年日本の戦争の真実を歩いて調べていらっしゃる池間哲郎さんの講演を聞いてきました。それがすべてとは思いませんが、1900年時代「日本を残すために」必死にたたかった先祖がいたこともまた事実なのです。わたしの祖父の兄も戦死しており、祖父はまだ9歳だったためギリギリ戦地にいかず生き残り、私が生まれました。それを思うとき、ここにいることは決して当たり前じゃないなと思うのです。先人が守ってくれた土地と国があるから、今私たちが自由な生活をおくれている。そう思うとなんだか心があったかくなってくるような気がしませんか。
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まとめ
この記事では、
- 日本人によくある価値観と
- なぜ同調圧力がうまれるのかをご紹介
そして、解決法として、
- 自分らしくいられる場所を探す
- ひとは違って当たり前、無理にわかろうとしない
- 祖父母、父母など家族に感謝する
をご紹介しました。大切なのは、「自分が機嫌よくいれる状態を維持」すること。周りにあわせても、そのひとといつまでいるかはわからないですし、疲弊するものに時間を使うのは命のムダ遣いともいえるもの。
ただ常識というのは「お互いが気持ちよく過ごすために存在するもの」です。それを丸無視して「わたしはこうだから」というのはただのワガママです。周りも見つつ、日本人の配慮が優しい形が広がっていくことを祈るばかりです。
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