ほとんどの人は、高い基準を持つことは良いことだと考えるでしょう。優秀さを追求することは、良い労働倫理と人格の強さを示すことでもあります。
しかし「完璧主義の人」は、高すぎる基準を設定しがちです。また「相手を失望させたくない」という思いが強いために、自分も苦してしまうこともあります。この記事では「人間は本来的に弱い生き物で、サボりたがるものなのだ」という”性弱説”をもとに、完璧主義が和らぐ考え方をご紹介します。
スポンサーリンク
完璧主義者なら知っておきたい、性弱説とは
性弱説とは「人間は本来は弱い生き物で、隙あればサボりたくなる生き物なのだ」という人間観です。一般的には「人間の本性は基本的に善である」とする性善説と、「人の本性は悪であり、努力することによって善を獲得できる」という性悪説のほうが有名ですね。
出典は分かりませんが、「人間とは弱いものである」という稲盛和夫氏の言葉が元になっているようです。テレビでは、キングコングの西野さんも提唱していました。
例えば、こんなできごと。
これに「正しい、悪い」の議論をかけると終わりはないのです。「盗むなんてそもそもありえない」という前提ではなく、「そもそも人間は、ときと場合によって、ズルを働きたくなる生き物なのだ」という前提で、周りも防止策を講じていこう、というのが性弱説です。
完璧主義者の思考パターンと特徴
多くの人は、失敗せずに最善を尽くすことが重要だと考えています。そして「時々ミスもあることを知っており、間違いを犯したからといってすべてが失敗した」というわけではないと考えます。対して完璧主義者は「過ちを犯すなんてありえない、過ちを犯すことは失敗であり、他人を失望させる恐ろしいことだ」という思考パターンに陥っていることが多いです。
「完璧」になろうとするとストレスを感じたり、自分が定めた基準が高すぎるために満たせないために、過度に落ち込んでしまうこともあるでしょう。それも積み重なっていくことで、自尊心はどんどん薄れていく。自分を責めるようになったり、「優れたことが充分にできている」のに思考癖のせいで、苦しくなってしまってはしんどいですよね。
完璧主義の人こそ、「性弱説」を取り入れるべき理由
完璧主義の人には、「できることが当たり前」であり、「ちょっとしたミス」が致命的なダメージにみえてしまう。そこでですね、完璧主義の人にこそ、この「人間誰しも放っておけば、怠ける可能性がある」という前提を取り入れてもらいたいのです。
性弱説とは前述したとおり、「人の心は弱いもので、ラクな方に流される生き物である」という考え方です。「嘘をつかない、人のために尽くす」ことが正しいことであると思っていても、「心の弱さ」がその逆の行いをしてしまうことがあるのです。
完璧主義の人は、全体として素晴らしい成果を残していても、「少しのミス」が許せず、「周りを失望させているのでは」と自分を追い詰めてしまうことがあります。せっかく素晴らしい才能を持っているなら、少し自分の基準を緩めてあげる (方向をずらしてあげる) だけで、変な緊張感がなくなり、かえって仕事がうまく進むようになったという例もあります。
スポンサーリンク
あとがきにかえて
「そもそも安きに流される人間」が、正しくあろうとする、善を尽くそうと努力する。そんな人間の弱さを受け入れて、それでも確実に結果を出せるように考え、工夫していくのが健全な心ではないかとおもうのです。なにより完璧主義であると、他人にも厳しくなってしまいがち。そして自分に厳しい、他人に厳しいは良い結果にはなかなか結びつかないのですね。「人は弱い存在である」ことを前提として、「その上で何か行動し、成し遂げることがそもそも尊いことなのだ」という考えを持てたら、心がラクになっていくのではないでしょうか。
スポンサーリンク
コメント