【生きる意味とは】ダライラマ法王が呈する現代の矛盾―The Paradox of our age

ダライラマ法王のことば言葉の薬

さいきんテレビをつけると悲しいニュースが多いですね。中年世代における引きこもりの深刻化、学校での悪質ないじめ、子供への虐待にあおり運転現代の閉塞感をダライ・ラマ法王はどう捉えるのかそもそも、生きるとはどういうことなのか――。

現代の日本人にとっての「生きる意味」を探すきっかけとなり、未来をつくる力となればおもい、ダライ・ラマ法王の言葉をここに引用させていただきます。

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ダライ・ラマ法王が呈する、現代の矛盾

14th Dalai Lama(画像引用元:Dalai Lama)

We have bigger houses but smaller families; 

大きな家に住めるようになったのに、家族は減ってしまった。 

more conveniences,but less time; 

便利にはなったけれど、時間に追われている。 

We have more degrees,but less sense; 

立派な学位を持てても、分別を失い、 

more knowledge,but less judgement; 

知識は増えても、判断力は鈍ってしまった。 

more experts,but more problems; 

専門家と呼ばれる人は多くても、問題は増え続け 

more medicines,but less healthiness. 

薬はたくさんできたのに、不健康になっていく。

We’ve been all the way to the moon and back, 

月に行くことができるようになっても、 

but we have trouble crossing the street to meet the new neighbor. 

通りを渡って新しい隣人に挨拶することには苦労している。 

We built more computers to hold more 

情報を集積するコンピュータを大量に生産し、 

information to produce more copies than ever, 

製品を沢山作ることはできても、 

but we have less communication; 

コミュニケーションはうまくとれない。 

We have become long on quantity,but short on quality. 

大量の商品を作ることができても、品質は下がる一方だ。 

These are times of fast foods but slow digestion; 

ファーストフードで時間を節約しても、消化する力は衰え、 

Tall man but short character; 

立派な身体であっても、心は貧しい。 

steep profits, but shallow felationships. 

 

 

 

急激な利益を得ても、うわべだけの人間関係になってしまった。 

It’s a time when there is much in the window, 

外から見ると豊かであっても、中身は空っぽ

but nothing in the room. 

そんな時代である

世界は贅沢なものであふれている。どんなものを手に入れても、どれほど豊かになっても、「幸福」で満ち足りるということはなく、それどころか、欲望はどんどん大きくなるばかり

(ダライ•ラマ法王に池上彰さんと「生きる意味」を聞いてみよう より引用)

 

いまの「なんとなく不安」を解決するには

ダライラマ法王に生きる意味を聞いてみた

”Fear always springs from ignorance.” (恐れは無知からくる)という言葉があります。「なんとなく不安」という気持ちは、先がわからない、みえない、というところからきているのではないでしょうか。

でもその不安を解決する術って「自分が何をしたいか」「どうなりたいか」を考えて、それに対する行動を起こすしかないんですよね。誰にもできない、自分にしかできないことです。何を言われているのか、思われているのか、 そんなの考えたってわからない。ネガティブな想像をするより、よくなる方へと頭をつかっていったほうがよっぽど有意義であり、それこそが健全な心ではないかとおもうのです。

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あとがきにかえて

ダライラマ法王に生きる意味を聞いてみた

喜怒哀楽、いろんな感情があって然りですなので大切なのは、その上で、自分がどういう行動をとるかなのではないでしょうか完璧なひとなんていないし、だからこそ自分を立て直そうとすることに、意味がうまれる

時に腹が立つことや、理不尽なことがあるかもしれないけれど、「良いこと」もたしかにあったわけで、ネガティブな感情をもつのも人間らしくてよいじゃないか。法王の言葉をよんで、結局生きるって、「美味しいものを食べて、笑って、ときに泣いて」って、その生活を慈しむことなんじゃないか、とおもいました。

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