先日「全く声優志望ではなかったのに中2で国民的アニメキャラクター、ジャイアンの声優に合格しちゃってその運命に翻弄された激レアさん」として、現在のジャイアンの声優 木村昴さんが紹介されました。
ジャイアンといえば木村さんの声が浮かぶ昨今ですが、そうなるまでは相当苦労があったよう。まさに努力は裏切らず、努力には複利がつくことを象徴するような話しでした。というわけで、今日はドラえもんを見るたび胸があつくなるジャイアン声優・木村氏の熱いエピソードをご紹介します。
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ジャイアンの声優
ジャイアン2代目声優 木村昴 (キムラ スバル) とは
(引用元:http://www.atomicmonkey.jp/jp/archives/talent/kimurasubaru)
1990年、ドイツ・ライプツィヒにてドイツ人でオペラ歌手の父と日本人で声楽家の母との間にうまれる。7歳までをドイツで過ごし、日本へ移住したあとに劇団日本児童へ所属。2002年ミュージカル・アニーでタップダンサーとして出演しキャリアをスタート。
- 誕生日: 1990年6月29日
- 出身地 :ドイツ
- 血液型 :O型
- 趣味・特技 :英語、ドイツ語
2005年4月15日より、テレビ朝日系アニメ『ドラえもん』にてたてかべ和也に代わりジャイアンこと剛田武の声を担当。応募の動機は「中学2年生の冬にジャイアンのオーディションが開催されることを知り、周囲に自慢しようと思った」とのことで、声優志望ではなかったという。(Wikipediaより引用)
初代声優、たてかべ和也さんとの関わり
(画像引用元:https://twinavi.jp/topics/tidbits/55840047-fd98-4040-8e7b-7bb35546ec81)
ジャイアンの初代声優は、ベテラン声優・たてかべ和也さん。たてかべさんは「ジャイアン役を継いでくれる人と酒を飲みたい」と考えていたとのことですが、後任の木村さんはまさかの中学生だったため、あと5年は長生きして一緒に飲みたいと語ったそうです。
そして木村さんが成人して5年ちかくの月日が流れた2014年、一緒に飲みに行くことが実現しました。しかし2人で飲み交わす機会はこれが最初で最後となり、たてかべさんは2015年6月に亡くなりました。木村さんの学園祭に顔をだしたり、そこでジャイアンのごときリサイタルを開催するなど、あたたかい交流があったようです。
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ノリで受けたらまさかの合格、待っていたのはイバラの道
形なきものを、形にするために奮闘する日々
木村さんが「激レアさんを連れてきた」で語ったのは、合格後に待っていた試練の日々、「プロになること」の厳しさが伝わってくる熱い内容でした。求められたのは自分のジャイアン、「これでいいのかな」と思いながらもレコーディング日はやってくる。見えないものを形にしていく苦労はどれほどの苦労だったのでしょうか。
立ちはだかる大きな先代の壁。たてかべさんに相談するも、返ってきたのは「ジャイアンは豪快な奴だから、思いっきりやればいいよ」といった哲学的なことだったといいます。
「自分のジャイアン」を見つけるまで
そして数年立ってふと気付いたのは、「来年から小学生になる人には、僕 (木村氏) の声がジャイアンだ」ということ。そこで木村さんは「口先だけで演じられるものではなく、テクニックで出来るものでもない」と、たてかべさんが言っていたことが理解できたような気がしたといいます。こうでもない、ああでもない、ともがくうちに木村さんのジャイアンが出来上がっていたのですね。
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あとがきにかえて
努力は報われる、そして複利がついてくる
元々はラッパーになりたかったという木村さんは、現在は『男性声優12人による音楽原作キャラクターラッププロジェクト、ヒプノシスマイク』としても活躍されています。未経験の声優の道で奮闘し、確実に歩をすすめて夢も実現されている姿に「自分も」と奮起する子供も多くいるのではないでしょうか。
- チャンスを逃さず、新しい世界に飛び込むこと
- さきが見えなくても投げ出さず、もがきながらも進むこと
これって生きていくうえでとても大切なこと、木村さん出演の「激レアさんを連れてきた」はそのまま教育ビデオにしてもいいんじゃないかってくらい、激アツな内容でした。国民的アニメの声優さんがこういったことを体現しているって、社会にとってもすごくプラスなことですね。
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