時にひとの言葉がグサっとくることは誰しもがあるとおもいます。信じたくはないですが、社会はやはり弱肉強食なところがあり、悪意のある発言を好み、それを楽しむ人が一部いることも事実です。今日は酷い言葉で傷ついたときに心が落ち着く3つの考え方と、悪意のある発言をする人の真意をご紹介します。
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酷いことばで傷を受けたときに効く、考え方3つ
① いやな奴だったな、で終わらせる
内容云々はいったんおいておいて、「意図的に傷つけようとする」ことは健全な精神ではないです。「なにかあったんだな」と一旦冷静になりましょう。空は見ているだけ、という言葉を知っていますか。地上で何が起ころうと空はなにもしないのです。いつも通り日が登り、沈んでいくだけです。「よい」「わるい」でジャッジすると頭にくるので、「マジでやなやつだったな、ああならないようにしよう」と巻き込まれ事故にあったと考え、水に流しましょう。
② 言いたい人には言わせておく
もうおそらくそういった人は「悪口」が好物で、中毒なのです。つまりそこにいくら「正論」で立ち向かっても、その人たちはおもしろくない、どころか瘴気(毒気)を浴びるだけで悪化する一方。
そんな相手の悪意を「ああそうかも」なんて飲み込んだらどうなるかわかりますか、そう、食中毒を起こします。しかも食中毒ってあとからじわじわとくるんでよね。受けとるのではなく、受け流すことを覚えることもこういった社会を生き抜く術です。
③ その人に好かれなくても、気にしない
もし自分が健全な精神を持っているのなら、そういった瘴気(毒気)をおびた言葉に違和感を覚えるのは当たり前です。同調できない、なんかいやだ、この人こわい、その感覚は真っ当なものなのです。逆にその一瞬はいやな思いをしても、長い人生を考えるとその人(またはグループ)好かれなくてラッキーです。一緒にいる人に人はどんどん影響されていくものだから。
人は「承認欲求」がありますが、「不可欠な承認」と「選択的な承認」というものがあるのです。後者はあってもなくても生活に差し支えないもの。そう考えるのであれば、悪意のある発言をする人から承認されることは、まさに「望まない承認」でしかないでしょう。
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酷い言葉をあえて吐く理由4つ
悪意のある発言をあえてする理由それは、
- 他人の気分を害すると、自分の気分が良くなったように感じる
- 相手のことが嫌いだから(そういうひとは不特定多数の人に対して同じ態度をとる)
- 相手のプライドを傷つけたい(相手を罵倒することにより、自分の傷をごまかそうとする)
- 自分の欠点をみたくない(他人の欠点を指摘することで、自分を振り返らずにすむ)
こういった心情が背景にあることが予想できます。人を巻き込まないでほしいと思いますが、もしこういったケースにぶちあたったら、「人生の事故」と思うのもありです。
まとめ
というわけで、この記事では酷いことばで傷を受けたときに効く、考え方3つ
- ① いやな奴だったな、で終わらせる
- ② 言いたい人には言わせておく
- ③ その人に好かれなくても、別に気にする必要なし
をご紹介しました。自分を守るためにも「いやなひとだな」っておもったら、言われた言葉はさらっと水に流してさっさと次へ進んだ方が生産的かもしれません。
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