生きていればかならず「酷い事を言われた」と思う出来事にも出会うはず。忘れようと思っても、「なんであんなこといえるんだろう」と考え出すとどうしてもやりきれない気持ちになりますよね。今日は「傷ついた」「心が晴れない」とおもったときに立ち直るための3つのステップをご紹介します。
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①考えるのをやめて、心の中で感情を見つめる
酷いことを言われた瞬間「なにアイツ」「どういうこと」「でも本当かもしれない」「なんであんなこと」など、色々な思いが言葉が頭のなかに浮かんでくると思います。脳内で会話をはじめたら、怒りが膨張して止まらなくなるので要注意。仕事がある場合は何も考えず淡々と仕事をする、どうしてもおさまらない場合は、目を閉じて心に意識を集中させましょう。
- 悲しい
- 切ない
- 怒り
- 辛い
何も言い返さなくていいので、これらの感情を感じている自分をぼーっと見つめるのです。「ああ、わたし悲しいんだ」「むかついているんだ」こうするといくらか落ち着いてくるはずです。
言い返す言葉を考えるのは自分が疲弊するだけ、色々考えて言い負かすことができても恨みが残ります。後を引くだけでいい事はありません。「そういう見方もあるのか」と心の表面からさらっと流して、言葉がちょっときつくなりますが忘れることが一番の復讐です。
②一視点からの意見であり全てではない、と思いなおす
酷い言葉には、身体的特徴をあげるひともいれば、内面的なものをあげつらうものもあります。でも共通しているのは、それは「その人の意見(その人の視点からみるとそうなる)」だけであって、それが全てではないこと。たとえそれが10%くらい当てはまるとしても、半分喰らいそうかもと思っても、はたまた事実であっても、「へえー」と心の表面で受け止めるくらいでちょうどいいのです。
パーフェクトヒューマンはオリラジだけで十分です。マイナスポイントだってそれを含めてその人なわけで、ちょっとピリっとする胡椒のようなもの。そこに焦点をあてて指摘してくる人より、良い面を見てくれるひとを大切にしましょう。
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③彼らを「反面教師」とする
それだけでは納得できませんから、この際「酷いことを言ったひと」「傷つけてきた人」には反面教師になってもらいましょう。そしてそうじゃない人、自分が好きな人、言葉に角がない人、憧れる人のことを考えてみる。その人たちとはどこが違うのかを、ちょっと書き出してみましょう。
- どんな意見でも、肯定してから自分の意見をいう
- 人の意見は否定をしない
- もしかしたら私が悪いのかもだけど、と前置きをする
- 見せかけの発言はしない
そしてそのいいところを自分が吸収して、成長につなげるのです。人生は短い、ただで転んでは損してしまいますからね。
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その後の相手との付き合い方は?
「うわ、この意見痛いな」と思ったときって大体本当のことだったりするんですよね。例えば
- 女性であきらかに痩せているひとに、「このデブ」っていわれても「へ?」って感じで、
- 男性で178cmの人に「チビ」っていっても、「ん?」て感じですよね
それと一緒です。なんらかの心当たりがあるからムカっとくるわけで、そういうことって結構いっぱいあるとおもうんです。でもそれがたとえ図星でも、真実でなくても、婉曲していてもそういったことを言葉にするかしないかは相手のモラルの問題。そこが合わないと思った人とは、なるべく距離をおいて付き合うことが一番です。別にその人のために生きているわけではないし、人のいうことを全て真に受けていたら「自分」がなくなってしまいますからね。
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まとめ
というわけで、今日は酷いことを言われたとき、立ち直るための3ステップをご紹介しました。
- 1 考えるのをやめて、心の中で感情を見つめる
- 2 一視点からの意見であり全てではない、と思いなおす
- 3 彼らを「反面教師」とする
ただ同じようなことを数人から何回も言われる場合はもしかしたら、自分の何らかの行動が間違っている場合も考えられます。(身体的特徴とかは別として)その場合はまた問題は形を変え、人を変え目の前に現れるので、なにが原因なのか根本原因を探ってみることもありかと思います。言い負かすと高確率で恨まれるので、「何だこいつ」と思ったら、もうさっさと離れましょう。重ねてになりますが、心無い言葉や行為は「忘れること」が一番の復讐です。
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