【3年A組最終回】現代人の心に刺さる、柊先生が伝えたかったこと

3年A組 最終回 解説心に響く名言

ついに最終回を迎えた3年A組、柊先生が命をかけてまで伝えたかったこと、それは不確かな情報に踊らされる現代人に「簡単に発信できる時代だからこそ、自分を律し、自分の頭で考えて行動することの大切さをわかってほしい」という、心からの叫びでした。言葉を軽視しがちな現代人にとって、心に響く想いが詰まったものでしたので、最終回柊先生が伝えたかったメッセージをこちらに引用させていただきます。

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痛いほど刺さる、柊先生最後のメッセージ

お前たちが影山の命を奪ったんだ。お前も、お前も、お前も、いままで散々正義感を振りかざしてきたくせに、分が悪くなったとたんに子供のように責任転嫁をはじめる。自分を正当化するのに必死だな。つまんねー生き方してんじゃねえぞ。見苦しいんだよ、ふざけてんのお前らだろうが、お前ら一度だって真剣になったことあんのか

逃げてんじゃねえぞ。自分の親や、友達に面と向かって言えないことも、見ず知らずの他人にぶつけんなよお前のストレスの発散で他人の心をえぐるなよ、わかるだろ俺の言いたいこと。お前らそこまでバカじゃねえだろ。

気づいてくれよ、いいか、マインドボイスは誰もが繋がれる便利なツールだ。気の合う友達を見つけていつでもどこでもコミュニケーションが取れる。ひとによっては心の拠り所になるだろう、それも大切だ、否定はしない、その一方で、恐ろしい暴力装置にもなりえる。

言葉は時として凶器になる、ナイフなんて比にならないくらい、重く、鋭く、心をえぐってくる

だから刻んで欲しいんだよ、右にならってはいた一言が相手を深く傷つけるかもしれない、独りよがりに偏った正義感が束になることでいとも簡単に人の命を奪えるかもしれないってことを。そこにいる君に、これを見ているあなたに、ひとりひとりの胸に刻んで欲しいんだよ。

他人に同調するより、他人を貶すより、まずは自分を律して磨いて作っていくことが大切なんじゃないのか。てかそっちのがたのしいだろ。その目も口も、手も、誰かを傷つけるためにあるわけじゃない、だれかと喜びをわかちあうために、誰かと幸せを噛みしめるためにあるんじゃないのか。そうだろ、もっと人に優しくなろうぜ、もっと自分を大事にしようぜ。俺の言葉がどれだけ届いているのか、きっと殆どの人間には痛くもかゆくもないだろう。

でも誰かひとりでいい、君ひとりでいい、感情に任せた言葉が影山玲奈のような犠牲者を作るかもしれない、そうおもって踏みとどまってくれたら俺がここに立っている意味がある。そしていつかきっと、そのひとりが、10人になって、100人になって、1000人になっていく。俺はそう信じてる、だからどうかだからどうか、あなたに届いて欲しい、聞いてくれて、ありがとう。Lets think.(頭使っていこう)

3年A組 柊先生(菅田将暉)より引用(動画視聴:Hulu 公式サイトより https://www.happyon.jp/)

 

他人に害を与えれば、必ず自分にかえってくる

人を呪わば穴ふたつ、という言葉があります。他人を呪い殺せば、自分も相手の恨みの報いを受けて呪い殺され、相手と自分の分で墓穴が二つ必要になる、つまり他人に害を与えれば、必ず自分にかえってくるものである、という意味です。怒りや憎しみが続くとつい相手のことを考えてしまいますが、それは、相手に心を支配されているようなものです。

とくに学生時代はどうしても、決められたクラス・環境に縛られがちです。心の拠り所をネットに求める気持ちも十分にわかる、でもどうか、自分の大切な時間を、エネルギーを間違った方向へ使わないでほしい、という作者の願いが伝わってくるドラマだったと思います。

 

他人を批判して一番ダメージを受けるのは、自分

このドラマのテーマであった、「怒り」という感情の使い方。「あのひとが許せない」「何か言わないと気が済まない」という感情は考えれば考えるほど、大きくなっていきます。あるひとはそれを、「相手を怒りという毒を盛った料理のディナーに招待しているようなもの」と例えました。自分が一方的に投げかけた言葉に対し、相手が冷静で、反応がないのは、相手が怒りという名の手料理を受け取らずに帰るようなもの。怒っている人の心には、受け取ってもらえなかった毒料理が手付かずのまま残り、そして残された本人はひとりで毒料理 (怒り) をたいらげ自滅してしまう、という理屈です。(参考:超訳ブッダの言葉 小池龍之介著)

 

まとめ

3年A組最終回に込められた現代人へのメッセージ、いかがでしたでしょうか。つまるところ、リスクを取っても柊先生が伝えたかったのは、「言葉の怖さ」だとおもいます。ストレスを感じてイライラすることも、普通のことです。柊先生のメッセージは、でもそれを、負の感情を、見たこともない他人を批判することでごまかすのは、誰のためにもならない、という祈りに近い気持ちがはいっていたのかもしれませんね。

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