【うつ病日記①】あまりに孤独な村生活、田舎が辛すぎて鬱になった話

うつ病日記

私も大概田舎に生まれたとおもっていたが、田舎にも程度があるらしい。山の奥地に阻まれた「ど田舎」は規模が違い、こんなにも不便で生きにくいものだとは想像もしていなかった。ほんとに、とにかく、何もないのである。(正確にいうと畑や田んぼ以外はない)

引き続き「ど田舎」の悪口になって申し訳ないが、あまりに辛すぎて味覚障害が出てきたので、徒然なるままに「ど田舎辛すぎる」という思いの丈をもう記させてもらおう。

超怖い、田舎の独自ルール

田舎には、田舎特有のルールに従わなければ生きていけないらしい。東京では、お金を払えば「サービス」を気軽に買うことができた。でも田舎ではそのサービスどころか、とにかくなにもない。大根畑や蕎麦畑に田んぼがひたすら連なっているだけで、ネットカフェだってない。

仕事でどうしてもウィンドウズが必要になって、ネカフェを探したが16キロ先にしかなく30分かけて赴くハメになった。しかも田舎すぎるのか、機種は古すぎて2000年代前半のものじゃないか、というくらい古くて使い勝手も最悪だった。(もしかして都会のをおろしてるのか?)

好きな服を着ると「おかしい人」扱い

あとびっくりするのが、東京できていた「服」が見事に浮くのだ。ブランドのバックだって持っていたら、「なんでこんな田舎でそんなの持って」みたいな奇異な目でみられる (結局見せる人もいないので、本当にお気に入りだった数個を残してほぼ手放した)

オフィスが表参道にあり、毎日原宿通りを通勤していた私は原色の服がすきで、それでもあの通りを通るときは自分がやたらと落ち着いて見えて「地味ですみません」と思いながら歩いていた。しかし田舎で同じ服を着ていると「頭のおかしい人」扱いをされてしまうらしい。

個性を出すと消される

「個性が良いこと」とされていた東京とは真逆「尖っている人、個性が突出している人は近づかないほうがいいちょっと頭がおかしい」人扱いをされてしまうのだ。通訳としてあちこち転々としていた私はこれが本当につらくて、「普通にならなきゃ」「皆と同じにならなきゃ」と個性を殺して生きていくようになった。(これがのちの精神大崩壊につながる)

奇異な目で見られ流のが辛すぎて、ユニクロしか着なくなった。だってBEAMSなどの「普通にかわいい服」を着ているだけで、

なに、あなたおしゃれしちゃって

みたいなことを平気で言われるのである。デリカシーはないのかまるで当たり前のように人の情報を矢継ぎ早に聞き出して、最後は「ふ〜ん」で終わるのである。(なんできいた)「わたしのときはね〜」なんて話しを続けられたりするが、ぶっちゃけ興味ないし聞きたくもない。

他人の事情にズケズケ入る

さらに「旦那さんの会社」をきかれて「地元の大きな企業なのですが、名前を失念して..」と濁したら、

あなた〜

旦那の会社も知らないなんて信じられない

お嫁さんならもっとちゃんとしないと

なんて、言われる始末。にごしているのがわからないのだろうか?他人の事情にズケズケはいってくるってどういうこと?ちなみに旦那の会社の都合でそこにいるだけで、夫婦ともどもその土地には縁もゆかりもないし、永遠にそんなところに居続けるつもりもない。

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先進国とは思えない不便さ

カフェなんてオシャレなものはない昭和 (というか戦後)にできたであろう古いさびれた喫茶店 (かその残骸)が町には残っているけれど。雰囲気的に地元の人しか入れない (というか客もいない)スタバもないし、外で仕事をするなんてとんでもない。

マックはあれどパイ類は売っていない(売っていないところがあると聞いたけど、まさか本当だとおもってなかった)

暗黙のルールがあるらしい

公園で犬の散歩をしていたら、「ちょっとあなた、そこは犬禁止よ!」といきなり怒られることもあった。尚、看板はない (抱っこして調べ回ったけどなかった)

禁止なら書いておいてほしい。けどそれは「暗黙のルール」として地元に根付いているのだろう。(そもそも移住者もこないような秘境だし)

まあ、都会にもそんな変な人も山ほどはいたけれど、なんとか田舎のよいところを見つけようと頑張っているときに「知らない人から理不尽に、いきなり怒られる」体験は私の心をズタボロにした。 (書いてあったり、普通に話しかけて注意されるのであればまた別ですけどねえ)

高速使わないと生きていけない

犬のごはんを買いにいくに50km、近くのショッピングセンターにいくには100km、まじで次元が違う。ここの人たち、一体何を楽しみに生きているのだろうか?休日は何しているの?恐らく県外に出たことがない人が圧倒的に多く、「よそもの」に厳しい感じも受けた

お前が移住してきたんだから、こっちにあわせろよ

的なスタンスが、あちこちにみえるのだ。なにが「移住推進」だ、「移住に優しい村」だ、そんな自称いくらでもできる。かっこをつけて「といいつつ、よそものいじめますよ」と広告を書き換えてやりたいくらいだ。(そもそも夫の仕事の都合なので、移住したわけではないし)

違う国にきたイメージ

田舎は、都会より数年遅れているというけどそんなもんじゃない。セルフレジが導入されたのも最近だし、むしろ10年くらいは遅れているんじゃないかとおもう。もう、ほんとうに、ここが「先進国」であるとはとても思えなかった。「後進国」なんじゃないかと、国が違うと言い聞かせてなんとか毎日淡々と過ごした。

テレワークだった私は家で仕事をしていたので知り合いもできず、孤独感でおかしくなりそうだった。地元の集まりに顔を出してみたり、したが、「英語おしえてください〜連絡先おしえてください〜」という若い子の声を本気にしてラインを交換。

挨拶ラインをおくったが既読にすらならなかった (まじでびっくり)個人ラインならともかく、仕事の連絡ですよ?今の子ってそうなのかしら?社交辞令であっても、にごしても返事くらいするのが礼儀じゃないの?悲しすぎて言葉にもならなかったけど、20日たったあとブロックした。仕事に対するスタンスが違うらしい。

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ど田舎生活、マジで無理

異変が起きたのは7ヶ月経った後、わたしはついに発狂した。

こんな何もないところで、何をしたって報われない

こんな場所で余生を過ごす方が死んだ方がまだマシだ

心からの言葉だった。本当につらすぎて、いっそのこと消えた方がまだマシだと思ったのだ。

誰にも必要とされていない感がすごかった。旦那は休日出勤でいないし、平日かえってくるのもなんだかんだ21時すぎ。ながいながい1日を、たんぼの真ん中にあるようなマンションで過ごす日々は想像以上につらい「私がいなくても誰も困らない」この思いは私を蝕んでいった。

携帯の充電コードを首にかけて、しめようとしたがあまりに苦しくてやめた。それに、愛犬を残して死ぬことなどできず、31になるまで手塩にかけて大切に育ててくれた、両親のことを思うと、両親が、親戚がいかに悲しんで自分たちを責めるかと思うと踏ん切りがつかなった。(冷静な気持ちがあってよかった〜)

心を病んでも病院すらない

苦しまず死ぬ方法はないだろうか。練炭自殺はおもいのほか苦しいらしく、「トリカブト」でも探そうかとおもった。そしたら、割と自然死っぽくなるのではにか。でもあの地域はまじで、ほんとに熊がたくさんでるので、探しにいくことも諦めた。(道端にあったらまじで煎じて飲んでいたとおもう)

何が言いたいかって、もう明らかに「狂っている」のに病院すらないのだ。3時間泣いて泣いても止まらず、さすがにやばいと心療内科に電話をかけたところ、

初診は2ヶ月さきじゃないとむりですね〜

との一言。「いまがつらくて、本当にどうにかなりそうで」と力説したが、無理の一点張り。

あ〜わかりますけどねえ、ごめんなさいねえ。

そんなに急ぐなら他へいってはどうですか?

と、紹介されたのは (明らかにヤバそうな) 精神病院。

心を病む=精神異常者!?

レビューには手足を縛られるとか書いてあるし、「そんな弱いあなたが社会へ出てやってけるとおもうんですか?(ふっ)」といわれたとか、こわいレビューだらけで、もうそんなところへいくのなら我慢したほうがマシだとひとりで大泣きした。

都会だと、過労やパワハラで心を病む人がたくさんいたから、わりと「心療内科」は身近にあったし、会社内にもカウンセリングはあったけど、ここでは「心を病む=精神異常者」といった認識があるのかもしれない。おかしくなっていっても、救いの手はまったくない。

旦那にも伝えていたけど、「気持ちはわかってあげたいんだけど、ぼくはここが平気だからなあ」と波が過ぎると私のSOSなんてまったく受け止めてもらえてなかったように思う。最終的に「もうこんなところは無理だ、2度とかえるか」と自宅を飛び出して実家に帰った (旦那に送ってもらった)

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うつ病だと判明して

その後、中核市の総合病院で「重度のうつ病」であることがわかった。カウンセラーさんにもついてもらい、あまりに合わない環境での無理がたたり、心が崩壊してしまったことが徐々にわかっていった。その後は実家にのこり、旦那とは週末婚のような状態。

離婚したいわけでもなく、大切な人であることには変わりないので、「ふたりが」住みやすい市に映ることを検討しながら家を探しているところだ。いやあ、しかしびっくりした。わたしは社会に出てから割と良い企業にお世話になっており、いつも高層ビルの中で過ごしていた。

ウィンドウショッピングが大好きで、ブランドバックもデパコスも大好きで、オシャレなカフェで帰りにお茶をして帰る (またはテイクアウト) して、これまたかわいいおしゃれな高そうな家々をみながら (私が住んでるとはいってない) 家路につくのが大好きだったのだ。

自分にあわない生活がこんなにも、自分に悪影響をもたらすとは知らなかった。

住環境は食と同じくらい大切

もし、彼氏が田舎へかえる、転勤のある男性と結婚する、といった場合はよくよくよくよく考えて欲しい。「住めば都」と言う言葉があるが、はっきりいって、それはうそだ。(昭和まではそうだったかもしれないが、いまは平成だってジャンプして令和の時代なんですよ)

人間だもの、あう、あわないは絶対にあるし、それはわがままではない。たとえばチキンが好きな人が、毎日苦手なあナマコを食べさせらたらどうなるだうか。食べられるかもしれないし、それなりにおいしさもみえてくるかもしれないがやっぱり身体には無理がたたって異変が出るはずだ。

本当に、住環境は大切であるので、よくよく考えて欲しい。

私の治療は、はじまったばかりなので、これからは「うつ病日記」として記していきたいとおもう。しかし、こんなに心が辛くなると思わなかった。能面みたいな無表情の生活、たのしい、うれしいなんて感じないし、ごはんだってしょっぱい、甘い、塩辛いはわかるけど味がすごく鈍い。

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まとめ

ここまで一気にズラズラーっと、ど田舎の悪口を書いてきたが (尚、田舎にも程度があり、イオンがあるくらいの田舎はむしろ都会だとおもうし住みやすいとおもうのでアンチ田舎なわけではない)、常に「つらい」という気持ちが身体を支配していて、心がいたい。

心の中をずっとガリガリ引っ掻かれているような、低温火傷でじりじり痛めつけられているようなそんなつらさなのだ。人が変わってしまったようで、何をしても解決できない、もう何をやっても抜け出せないのではないかという気持ちがずっと消えない。

希望が何も見出せないことがこんなに辛いと思わなかった。

(最後まで読んでくれたひとはいないかもしれないが、もしいたら) 読んでくれてありがとう。そしてもし同じようなことで苦しんでいる方がいたら、どうか我慢せず、自分の心をいちばんに大切にしてください。壊れたものを治すのはとっても大変ですから、戻れるうちに手立てを探ってください。大したオチもないですが、これはうつ病日記として記していきたいとおもいます。

うつ病日記シリーズ

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