【終物語|幸せを過大評価するな】幸せになりたい人へ送る名言7つ

アニメの名言心に響く名言

原作西尾維新先生の『物語シリーズ』には名言がいっぱい。この記事では「幸せ・不幸せ」「人間らしさ」といったトピックに深く切り込んだ、終物語の名言をまとめました。

※引用した画像の著作権は各々の作者に帰属します。著作権法32条(引用)に従って掲示させていただきます

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① いつだってやり直せるって、思ってるんじゃない?

いつだって人生はやり直せるとか、思っちゃっているんじゃない? 何を始めるにも遅いなんてない、って思っちゃっているんじゃない? 失敗してもうっかりしても、取り返しがつくって思っちゃってるんじゃない?」

出展:終物語 斧乃木余接

人生はいくらでも生き直せる、それは変わらないとおもいます。でも「ダメだったら、次があるからいいや」と投げやりになるのはまた別の話し、「今この時」と、「次の機会」では何もかもがちょっとずつ違ったりするものです。

 

② お前が潰れるほど、重い幸せなんてこの世にねぇよ

「ねえよ、お前が潰れるほど、重い幸せなんてこの世にねぇよ。幸せを過大評価するな、あらゆる幸せは、お前にとって丁度いいんだ。」

出展:終物語 阿良々木暦

人は突然の幸せに出会うとナーバスになるものですが、「過剰な幸せ」というのはこないそうです。なのでそこに幸せや喜びを感じたならば、きっと何か意味があるはず。「何か悪いことがあるのでは」と思わず、両手でそっと受け止めたいですね。

 

③ あなたが幸せになれないのは、幸せになろうとしていないからだよ

あなたが幸せになれないのは、あなたが幸せになろうとしていないからだよ幸せになろうとしない人を幸せにすることは誰にもできない

出展:終物語 羽川翼

幸せってある日突然やってくるわけではなくて、「自分で気づくものではないか」とおもっています。馬を水飲み場に連れて行くことはできても、馬に水を飲ませることはできないという言葉のとおり、最終的には本人の意思次第なのでしょう。

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④ 間違ったことでも正当化されてしまう、多数決の恐ろしさ

「多数決、間違ったことでも、真実にしてしまえる唯一の方法。幸せではなく、示し合わせを追求する、積み木細工の方式」「間違ったことでも、ひどいことでも、バカげたことでも。多く人がそれを肯定すれば、正しくなってしまえることを、僕は知った」

出展:終物語 阿良々木暦

日本の学校教育でよく使われる多数決、よく考えると「多数派の意見」が「少数派」を淘汰するのですから、怖いですよね。社会は綺麗事ばかりではいきませんので、そういった「理不尽」もあるという教訓なのかもしれません。

 

⑤ 不幸や不遇に甘んじていることを「頑張ってる」と思ってるんじゃない?

「ひょっとして鬼ぃちゃん、ひょっとしてあなた、不幸や不遇に甘んじていることを「頑張ってる」と思っちゃってるんじゃないの?そういうのを世間では「何もしていない」っていうんだよ

出展:終物語 斧乃木余接

辛いことに甘んじる、悲しみに浸る、というのは「自分は苦しんでいる、頑張っている」という現実逃避でもあるのかも。現実に戻るのは辛いかもしれませんが、時も、他のひとも確実に進んでいる、ということは忘れずにいたいものです。

 

⑥ 絶対的な絆なんて、考えてみたら結構怖いしね

絶対的な絆なんて、考えてみたら結構怖いしね。だから乗り換えられないよう努力しなさいという話でしょ。特別な人間にはなれなくても、誰かの特別にはなれるでしょ」

出展:終物語 戦場ヶ原ひたぎ

ガッチガチに固まったものじゃないから、分かり合えるし、あたたかくなれる、努力だってできるんですよね。一度「重み、しがらみ」を切り離した彼女だからこそ、出てきた言葉かもしれません。

 

⑦ 一人目に向き合えない君が、二人目に向き合えるわけがない

「今彼を過去の話しにしたように、将来阿良々木先輩のことも昔話にすればいい。君は一人目を捨てるように、いつか二人目を捨てる。一人目に向き合えない君が、二人目に向き合えるわけがない

出展:終物語 神原駿河

手を替え品を替え、人を変えても、また同じことをしてしまうのが人間です。「今の自分」は「いままでの選択の結果」なわけですから、もし何かを変えたいのなら根本的に変える必要があるのでしょう。

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あとがきにかえて

終物語 名言

『終物語』は重めのストーリーではあるのですが、その分人生に対する教訓がたくさん散りばめられています家庭環境など違いはあるにしろ、「幸せ」だったり、「不幸」だったり、「目をそらしたくなる現実」だったり。いざ自分が渦中の人間になるとつい目を逸らして、その場をやり過ごそうとしてしまうこともあるのですが、それだけでは解決しなかったりするんですよね。だって根本が変わらない限り、問題は時を超えて、形をかえて、人を変えて何度でもやってくるのですから。その時に自分がどう選択をするのかで、案外将来がちょっとずつ変わっていったりするのかもしれません。

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