新型コロナウイルスの流行で、職を失う人が増えていることは知っていた。でもまさか、自分が『仕事を失う』とは思っていなかった。『派遣切り』のことも知っていた、世知辛い世の中だとおもっていた、いつか自分もそういった目にあうのではないかとも思っていた。
でもいざくると、本当にきついものだ。普段たわいもないことでなく自分だが、今回のことは泣きたいほど辛いのに、涙すらでなかった。ただ悔しい、そして新型コロナウイルスの流行が心から憎らしい。でも同時に「自分は大丈夫」とたかを括っていたことに気づいた。「いつ、誰に起きてもおかしくないのに、なぜ自分だけは大丈夫」だなんて思っていたのだろう。この気持ちは忘れてはいけないと思い、やり場のない思いをここに記そうとおもう。
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『派遣切り』という恐怖
いきなりくる、契約打ち切りの通知
在宅勤務になり1ヶ月半、それはいきなりやってきた。
普段はあまりやりとりのない部長からの電話、『重要案件』か、『勤務日の相談 (減らしてくれないか)』のどちらかであろう、とビビリながら通話ボタンをおす。
部長「もしもし、少しお時間いいでしょうか?」
自分「はい、大丈夫です、どの件でしょうか?」
部長「あの、次の契約の件なのですが、更新が難しそうで….」
「ついにきた」とおもった。他社だが知り合いの通訳者にも、こうした電話が一ヶ月前にかかってきたことを知っていたのだ。ましてや4月に「コロナで案件が少ないので、週3に減らして欲しい….」とお願いされたばかりだった。
もちろん、そう言われても困る、派遣の身であり時給換算なので8万円近くかわるのだから。それでも条件を呑んだ、「それをのまなければ次の契約はない」ことはわかっていたからだ。
慈悲の心はなく、容赦なくバッサリ
部長がいう「契約更新ができない理由」は、
- コロナで会社のキャッシュフローが厳しくなったこと
- 海外展開が思うようにいかず、英語要員が不要となりつつあること
- できれば、クラウドワークスで単発で仕事をお願いしたいこと (通訳・翻訳など)
とのことだった。まあ、つまるところ派遣切りである。
「1ヶ月前に直接電話したのは、せめてもの誠意」とのことだった。が、契約終了を受け取った側は「そんなのかんけーねえ」。何も今じゃなくてもいいじゃないか。2月に『契約更新意思があるか』をわたしは会社に確認していた。でも、「人員変更があり、英語が話せる人がこれからも必要になるから」ということで、更新になったのだ。
派遣は1ヶ月前に通知すれば、問題なく『契約を終える』ことができるというが、この時期に放り出されることがどういうことか、わかっていて本人も心苦しい声を出しているのだから致し方ない。
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『派遣さん』は所詮、使い捨て
正社員で5年間つとめていたころは、『派遣さん』は一時しのぎ的なものだった。繁忙期だけ手伝ってもらったり、手に余る書類をさいてもらったり。でも今回はじめて派遣の道を選んだのは、通訳・海外交渉といった特殊地位であり、正社員に比べて「精神的に負担の少ない」ポジションを求めたためだった。
『派遣さん』というのは、そういったプラスの面 がある一方『必要がなくなったら、すぐに切り捨てられる』という大きなマイナスポイントが潜んでいるのだ。
でも実際になってみると「こんなにあっさり切られるのか」というのが本音だ。そういうものだ、といわれたら仕方がないが、派遣で出向する以上『派遣さん』と呼ばれるし、『どうせいなくなる人』としての前提でみられる。信頼をつむいでも結果を出しても、結局その『透明な壁をやぶること』はできないのだ。
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あとがきにかえて
会社のキャッシュフローが危ないことになっているのは、3ヶ月前から知っていた。コロナがなければ、在宅にならなければこんなことにはならなかったのだろうか。『派遣』という位置付け上、まあいつかはこんな日がきたかもしれない。そう言い聞かせるが、それでも悲しいし、悔しい気持ちはどうしようもない。ただでさえストレスだらけの新型コロナウイルスとの共存生活。世界中にばらまき散らしておいて、自分はもう大丈夫だとして尖閣諸島に船を近づけてくる無神経な船もほんとに許せない。
知っている、これは八つ当たりだ。でもこの怒りを、悲しみをどこにぶつければいいのか。『通訳・翻訳』の仕事はだいすきだった、私を大きく成長させてくれた。それに仕事ファーストだった自分が、家族や恋人や大切な人をどれだけ蔑ろにしてきたか、自分がどれだけ傲慢で楽天的な人物だったかも痛いほどわかった。
もうすぐ緊急事態宣言も収束するだろうが、生きていくためには「新しい仕事」探しにでなくてはいけない。いつか「あのときはどん底だったけどよかった」と言える日のために、できることを日々していくしかないのだ。わかっているけど、辛い。でもこの気持ちは忘れちゃいけない気がするのだ。仕事をいきなりなくす痛み、普通だった日常がいきなり変わる苦しみ、それでも周りに大切な人がいるあたたかさ。半年後の自分が心から笑っていられるよう、願うばかりである。
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